前書き
「エクストリームライド」という言葉がある。
距離が著しく長い、獲得標高がおかしい、或いは時間制限が厳しい等、いわゆる達成難易度が高いライドのことだ。
転じて、難易度はそうでもないが実現が難しいライドも含まれるとか含まれないとか。
今回、そのエクストリームライドに参加することとなった。
タイトルは「エクストリーム乗鞍」。岐阜と長野の間に聳える乗鞍岳を、日帰りで登ろうという企画である。
大阪から乗鞍までの距離は約300km。車で約4時間半程度でたどり着ける。早朝から出発すればなんとか日帰りできる距離だ。つまり、ここでいうエクストリーム乗鞍とは、ライドの難易度というよりも、物理的に実現難易度が高いという意味である。
大阪から乗鞍へ赴く場合、普通は泊まりがけで行くのが一般的である。かくいう私も過去に2回乗鞍に登っているが、いずれも宿泊を伴ったライドだ。
エクストリーム乗鞍、実現すれば心のアルバムに大きな1ページを残すことになるだろう。ぜひとも実現したい。
事の発起人は普段からライド等でご一緒しているおもち氏(@noyuyuya)。車に自転車をなんとか2台載せられるということで、お声がけいただいた。
候補日を5月27日金曜日に定め、エクストリーム出勤(のフリ)も兼ねて準備を進める。
最後に乗鞍を登ったのはちょうど3年前。その間、豪雨による土砂崩れで不通になったり、新型コロナウイルスの蔓延による遠征自粛などもあったりで、なかなか行くことが出来ずにいた。
乗鞍の景色が思い出される。あの場所へもう一度行きたい。いや、何度でも。
しかし、思い通りに行かない点が2つあった。
ひとつは天候。こればかりはお天道様に天候ガチャの出方を祈るしか無い。
だが、決行日が迫るなかウェザーニュースをいくら眺めてみても、同日の予報は全国的に雨。決行は絶望的だった。
結果として、日程を少しずらして5月29日日曜日に再決行することとなった。29日の予報は全国的に晴れ。強風や雨上がり後の路面凍結による通行止めが少し気になったが、雨予報から2日も経過しているので、むしろ快晴の確率が高いと踏んでいた。
もうひとつの誤算は車体である。決行の2週間前、己の不注意によりロードバイクのフレームを破損させてしまった。
破損したフレームは破断のリスクがあるので、そのまま乗り続けるわけにはいかない。決行日を前にしてとんでもないことをしてしまったと悔いる。
そこでやむなく、セカンドバイクを出すことにした。といっても、ロードバイクを2台所有しているわけではない。クロスバイクである。
ただのクロスバイクと侮るなかれ。その仕様、コンポーネントは105フル装備、チェーンはデュラエース、そしてホイールはZONDAという変態クロスバイクである。エントリーモデルのロードバイクなど敵では無い、と言わんばかりの構成だ。
仕方ないわね……私も2回乗鞍に登ってるし、今回はあなたに譲ってあげるわ
はわわ、つばめちゃんありがとう。私、がんばるね!
ジオメトリの違いや車体重量に一抹の不安を感じなくは無いのだが……まあ、なんとかなるだろう。
ということで、誤算がいくつかあったものの、予定どおりエクストリーム乗鞍を決行するとととなった。
さあ行こうか、自転車でたどり着ける国内最高峰の地点へ。
午前4時の悪巧み
2022年5月29日 日曜日
午前3時に起床。アラームが鳴ると同時にぴたっと目を醒ます。
当然ながら準備は前日までに済ませてある。最後に忘れ物がないかを確認して、出発。
おもち氏は私の自宅すぐ近くのコンビニまで来てくれていた。
なお、今回のエクストリーム乗鞍は一部の人をのぞいて誰にも伝えていない。いわば悪巧みである。
ふたりして顔を合わせ、悪い笑顔を浮かべる。
ホイールを外して車に積み込み、いざ出発。
出発してまもなく、空が白み始める。夏至も近い。日が長くなったことを実感する。
道中はひたすら私のスマホに詰め込んであるアニソンを流しながら、自転車の話やアニメの話に興じる。私は車の運転ができないので(免許を持っていない)、助手席にて運転手を楽しませる役割に徹する。
午前6時過ぎに乗鞍スカイラインの情報を確認すると、本日は通行可能との表示が。前日は濃霧、前々日は強風で通行止めだった。僅かな不安も払拭されて、一気にテンションが上がる。
乗鞍までの移動はこのまま平穏無事に……と思われたが、どうやら車の電費があまりよくないらしく、少し時間をかけることとなった。
EVカーは高速道路に弱いらしい。確かにみるみるバッテリー容量が目減りしてゆく。やむなく2度ほどサービスエリアにて充電を行う。
予定どおりに行かないこともまた旅の醍醐味だ。休憩がてら、のんびりと行こう。
多賀SA、長良川SAでの休憩を経て、岐阜市高山に到着。3年ぶりの町並みにどこか懐かしさを覚える。
近くのコンビニで諸々準備を済ませて、再び車で乗鞍スカイラインのスタート地点へと向かう。
乗鞍よ、私は帰ってきた!
ふたりの大勝利! 希望の乗鞍スカイラインへレディー・ゴー!
乗鞍スカイラインのスタート地点、平湯峠のゲート前に到着した。
過去に乗鞍へやってきた際には、いずれも駐車場スペースが広い「ほおのき平」に停めてから出発した。しかし、ほおのき平から平湯峠のゲート前までは何の変哲も無い道(しかもまあまあの登り)を進まなくてはならない。今回は一気にゲート前から出発しようということになった。
車体を下ろして準備を済ませる。
ゲート前のスタッフに見送られて、いざ出発。
スタート地点にはマイカー規制実施中の表示。
乗鞍は大型バスとタクシー以外に車の通りが無いので、気持ちよく走ることができる。車通りが多いとそれだけでストレスになるので、大変有り難い。
序盤は普通の山道とそう変わらないが、斜度はそれなりにきつい。
平湯峠から頂上・畳平を結ぶ乗鞍スカイラインの全長は約14kmで、平均斜度は7.8%。このうち、前半の山道では10%程度の登りが続く。
過去登ったときにはさほど辛いとも思わなかったのだが……いくらカスタムしているとはいえ、クロスバイクのジオメトリ差と重量が重くのしかかる。
うう、KeiOSさんごめんなさい。つばめちゃんほど気持ちよく登れないかも……
景色を楽しみながらのんびりと登ればいいのよ
急いで登ったら勿体ないしなー。俺もがんばるのでマイペースでいこう
ふたりともありがとう……がんばります!
流石に10%を越えるとつらいのだが、登れない斜度ではない。過日より不調の膝も、今日はおとなしいと感じる。ゆっくりペースで、けれども確実に登攀してゆく。
500mほどアップした景色。
スタート地点である平湯峠の標高が1700mくらいなので、既に標高は2200mあたりだ。山々の尾根伝いに雪が残っているのが見える。
本来ならこのあたりで雪の壁が見られるはずなのだが、今はもうそこまで残っていないようだ。
さらに登ってゆき、標高2500m付近に達したところで、その景色ががらっと変わった。
高木がなりを潜め、山の形がはっきりと浮かび上がる。いわゆる森林限界だ。
雲ひとつ無い空が、手に届きそうなほど近いと感じる。これまで訪れた乗鞍のなかでは最高の景色だ。
山沿いに沿うワインディングロードをただ走っているだけでテンションがうなぎ登り。ここにきて疲れが一気に吹き飛んだ。
「快晴!」「空が綺麗!」「雪が残っている!」「景色最高!」という言葉ばかりは浮かぶ。語彙力の無さが露呈していくようだが、それでいい。それがいい。
立ち止まっては撮影の繰り返し。こんな景色、一気に走っていては勿体ない。
ゴールの畳平へ入る前に、長野側のゲートを見ておこうと少し寄り道。
この先には乗鞍エコーラインが続いている。開通時期は例年7月なので、今はまだ通行止めだ。
乗鞍はスカイラインしか登ったことがない。いつかエコーラインも……と思い、県境を写真に収める。
県境に続く道には雪の壁が残っていた。スマホを雪の壁に押し込み、おもち氏と記念撮影。
その後、彼の不意を突いて畳平へスプリント勝負に繰り出したが、こちらの行動が読まれていたらしく追い抜かれてしまった。
何はともあれ、乗鞍スカイライン3回目の登頂である。
帰還時にイベント入ると激熱展開待ったなし
頂上での記念撮影をひとしきり終えて、2つある売店のうち、今まで入ったことのない畳平バスターミナル側のほうへ入る。
売店ではうどんやカレーのほか、できたてのポテトチップスを販売していた。
このポテトチップス、何故か狭いコミュニティ内において評判となっていたので、おもち氏と揃って注文することとした。
出てきたのがこちら。
喉が渇いていたので、炭酸飲料と合わせてジャンキーにいただく。
これは……
なんとも言えぬ素朴感ですね……
だが、染み渡る……
特別美味しいというわけではないのだが、妙に気になる味だ。ポテトチップスの塩味が塩分不足の舌に突き刺さる。
周りを見れば、ポテトチップスを注文していたのはおもち氏と私のふたりだけ。
売店のおばちゃんは不思議そうな顔で「これ人気なの? この前も注文していく人がいたけど……」と仰ったので、サイクリストの狭い界隈で人気だと伝えるとびっくりしていた。何なら名物にしてしまっても良いのではないか。
畳平バスターミナルのポテトチップス、乗鞍登頂にふさわしいまんぞくであった。
ちなみに乗鞍岳の最高峰に位置する剣ヶ峰には、天照皇大神を祀る乗鞍本宮がある。
その遥拝所(本宮から離れた場所で神仏を拝むための場所)が畳平に設けられており、自転車のお守りを扱っているようだ。
おもち氏はここで3年前に手に入れたお守りを返すという目的があった。今回、無事にその目的を果たすことができたらしい。
なお、新しいお守りをゲットしていたので、来年以降また来なければならないというフラグになったのは言うまでも無い。
名残惜しいが、時間も限られている。達成感を胸に我々は下山することとした。
絶景につぐ絶景の乗鞍スカイラインだが、帰りの景色もまた、往路とは違った姿を見せる。
道が地平線のような様相を呈している。その先には空しかない。
雪壁に囲まれたワインディングロードを、バスが慎重に抜けてゆく。
登っていたときには気がつかなかった景色だ。
一気に下るのが勿体ないと感じる。この景色が見たくて、何度も来てしまうのだろう。
このクロスバイクを購入したのが2015年の11月。その後、ロードバイクの購入を経て、自転車歴は7年になろうとしている(2022年5月時点)。
その7年の間に、乗鞍を登ったのが今回で3度目。既に乗鞍は、サイクリストとしての自分の故郷となっているのかもしれない。
さらば乗鞍。次に来るときはロードバイクか、或いはクロスバイクか。
風呂は命の洗濯よ
平湯峠のゲートまで戻り、車体を車に詰め込む。
それなりのヒルクライムで汗びっしょりである。すぐ近くに平湯温泉なるものがあるそうなので、昼食を兼ねてそこへ向かうことにした。
平湯温泉、昔は秘湯という感じだったらしいだが、松本方面への交通アクセスの向上や、上高地・乗鞍のマイカー規制により平湯温泉に駐車するケースの増加、シャトルバスの増便などが理由により、観光地としての性格が強まったらしい。
確かに、山奥にあるそれなりの規模の温泉地という感じである。近隣の道路も綺麗に舗装されており、車での訪問客が多いことがわかる。
いくつかの情報をもとに、温泉宿である「ひらゆの森」へ向かうことにした。
ここは日帰りで入ることが出来る。お値段のわりに風呂は立派で、コンパクトなスーパー銭湯という雰囲気だった。
温泉、というか風呂の類いは苦手なのだが(仕方なく毎日入るけど)、ライド後の風呂はそれなりに心地よい。登攀による汗をしっかりと流し、体を清める。
風呂上がりに近くの飲食店で昼食。おもち氏には申し訳ないが、運転できないことを良いことにビールを開けることとした。すまん(なお、おもち氏は酒が飲めない)。
エクストリーム乗鞍、まさに大勝利であった。ここに勝利の美酒をあけるものである。乾杯!
このまま永久に飲めそうな気がしたので、理性を総動員して一本に留めた。
飲食店を後にして、少し温泉地を散策。すると、観光協会らしき建物になにやら二次元美少女が待ち構えている。
「温泉むすめ」がひとり、平湯みつばちゃんである。自称、温泉むすめ一番の常識人らしく、その迅速なツッコミを入れる姿から「岐阜のスピードスター」と呼ばれているらしい。
建物内には全国の温泉むすめの缶バッジが飾られている。
大阪近郊にある有馬温泉のバッジは無かったが、代わりに炭酸せんべいとのコラボが置いてあった。
こうして思いがけない出会いが楽しめるのも遠征の醍醐味である。温泉むすめ、これからも遠征先にいないかどうか時折確認しておこう。
楽しい時間はあっという間に過ぎていくもので、時刻は既に15時。名残惜しい気持ちに後ろ髪引かれながら、我々は乗鞍の地を後にした。
往路と同じ道を、おもち氏の車で運ばれてゆく。
途中、何度かSAにて充電しながら、無事に大阪まで帰り着いた。
最後に吹田SAで食べたラーメンが、妙に記憶に残る。
おもち氏曰く、「こういうSAのチープな感じのラーメンで締めくくるのが良いんですよ」とのことだが、こうして記憶に残るあたり、その気持ちはよくわかる。
こうして、我々のエクストリーム乗鞍は幕を閉じた。
結びに代えて
思いがけず、今年も乗鞍に来ることができた。エクストリームライドに誘ってくれたおもち氏には感謝しかない。
3年ぶりの乗鞍は記憶に違わぬ、いや快晴なだけに記憶よりも素晴らしい景色をもたらしてくれた。日頃の行いは悪い方だと思うが、お天道様には感謝しかない。
また、クロスバイクでも意外と登れることを実感したライドであった。斜度10%を越えてくると途端に辛くなってくるが、それでも登れないわけではない。ロードバイクが戻ってくるまでの間、主戦力としてお世話になろうと思う。
心の故郷、乗鞍。次に訪れるのはいつの日か。