【大阪】残暑を感じながら金剛山・堺を堪能するライド【115km】

自転車

前書き

2019年9月の第2週。

週末にどこかライドへ行こうとぼんやり考えていたら、Twitterを経由してライドのお誘いがあった。皆、考えることは同じらしい。

今回、一緒に走ることとなったのはおもちっこ氏(@noyuyuya)。私と同じく、LapierreのXeliusを駆るサイクリストだ。

彼とは2016年6月、大阪市中央区にある自転車屋、K&MCYCLE南船場店が開催した和歌山ライドで出会って以来の付き合いである。

当初、おもちっこ氏はスイスのメーカー、SCOTTのロードバイクに乗っていた。今でもセカンドバイクとして乗っているようだ。

その頃、私が乗っていたのはロードバイクではなく、イタリアのメーカーBASSOのクロスバイクである。今は諸事情で手元にないが、本来ならセカンドバイクとして乗り回したいと思っている。

おもちっこ氏がXeliusの購入を決めた日は、実は私とまったく同じである。

とあるロングライドの帰り、二人してK&MCYCLEでLapierreのパンフレットを眺めながら、カーボンフレームのロードバイクが欲しいという話をしていた。

当時、私はLapierreの2017年モデル、sensium500を購入しようかどうか迷っていた。

紆余曲折あって、フレームはやはり自分の好きなカラーであるブルーにすることとした。しかし、ロードバイクにおいてブルーのフレームというのはあまりない。あったとしても、自分の好みに合う雰囲気の色がないのである。

2017年モデルのsensium500、105仕様のカラーはブルーだ。

しかし、どうにも自分の好きな感じの色ではない。それ以前のモデルは結構きれいな色合いだったのだが、この年のカラーはどうにもベタ塗りなイメージがあって、購入(予約)に踏み切れなかったのである。

一方、予算に糸目を付けなければ、良い……と思うフレームがひとつだけあった。それが、現在乗っているXelius SL ULTIMATEのピノカラーである。

間違えた。こっちはキュアラピエー(ry

モザイク調にちりばめられたブルーカラー、唯一無二のイメージ。これに乗れたらさぞ楽しくライドできるだろうと何度も思ったものである。

Sensiumの価格は105完成車で25万円程度。一方、Xelius SL ULTIMATEはフレーム価格で35万円程度。メーカーのフラグシップモデルとしては安価なほうだが、組み上げるなら最低でも50万円近くは見ておく必要がある。

20万以上も差があるが、一番欲しいのはどれかと聞かれたら、即答でXelius。

そんな悩みをおもちっこ氏に話したら、こんな答えが返ってきた。

「Sensiumだって結局20万円以上かかりますよ。数十万円の差なら、欲しい方にお金を出したほうが絶対後悔しないですって」

それを聞いて、背中を押されたような気がした。今から思えば、最初から答えは決まっていたのだろう。

帰宅したものの、彼から言われたことがずっと頭から離れなかった。そして、気がついたらK&MCYCLEに電話し、その日のうちに注文してしまっていた。

しかし、どこから予算を捻出したのだろうか。きちんと支払ったということは、予算があったということなのだろうが……。

おもちっこ氏も私との会話で購入する決意を決めたのか、まさに私が電話したのとほぼ時を同じくして、Xeliusを注文した、という次第である。

図らずも同時期に、同じモデルを購入した二人で、久しぶりにマンツーマンのライドをすることとなったわけだ。

柏原市は意外と文化的なところらしい(失礼)

当日は午前8時に柏原市のリビエールホールに集合となった。

最短距離で向かうなら市街地を突っ切っていくこととなるが、久しぶりに大和川沿いを経由しようと思い、少し早めに家を出た。

のんびりと天王寺区を通過する。

どうでもいいことだが、あべのハルカスにはまだ一度も登ったことがない。地元民こそ一度は行っておく必要があると思うのだが、どうだろうか。京橋のグランシャトー然り(こちらも入ったことはない)。

途中であびこ筋に入り、南下していく。

この辺りはかつて通っていた高校がある。

高校時代のことはあまりよく覚えていない。世間的には評判が良く、校風も自由で、伝統ある学校だった。しかし、自分のカラーにはどうにも合わなかった。もし人生をやり直せるスイッチがあったなら、おそらく高校受験時に戻るだろう。

どうでもいい話だ。

そのまま吾彦大橋北詰まで南下し、大和川沿いに走る。この辺りは南河内サイクルラインの一部である。淀川サイクリングロードとは違い、河川敷よりも高い位置を走るため、それなりに景色を楽しみながら走ることができる。

それほど道が広いわけではないにもかかわらず、やたらと飛ばすサイクリストが多いので、少し注意が必要だが……。

サイクリングロードで飛ばしても仕方ないので、のんびり景色を眺めながら走る。リビエールホールまでは一本道だ。

予定の20分前にリビエールホールへ到着。

特にすることもないので、リビエールホール周辺の写真でも撮る。

来月にはここで『華麗なるギャツビー』を上映するらしい。自分の住んでいる自治体でもこんな映画イベントはあるのだろうか。いずれにしても、ホールの規模で映画を安く見られるのは良いことだ。

ちなみに、リビエールホールは南河内サイクルラインのちょうど中間あたりに位置している。ここから河内長野へ向かうこともできるし、大阪のヒルクライマー御用達の葡萄坂や十三峠にも行ける。また、奈良へのアクセスも容易だ。

そのせいか、リビエールホールはサイクリストが集まる場所となっている。外にはサイクルラックが完備。さらには伝言板まで用意されている。

伝言板にはステッカーがぺたぺた貼ってある。うちのキュアラピエールのステッカーも貼ろうかと5秒ほど悩んだが、貼った瞬間にキュアラピエールが私の手を離れて世界に羽ばたいてしまうことを危惧し、やめておいた。

しばらくして、おもちっこ氏が到着。相変わらず、良い感じの赤である。

互いに「今日は脚ぜんぜん回りませんわ」と高度な情報戦を仕掛ける2人。

最初の目的地は金剛山。南河内グリーンロードを経由して向かう。

大阪に村があるのは或る意味でネタである

出発早々、いきなり草むらに突入する。

これでも、南河内サイクルラインの一部なのだが……まるでとなりのトトロ状態である。

当日の気温は31度。猛暑は幾分和らいだものの、数値以上に暑さを感じる。無理せずにコンビニで少し休憩してから、グリーンロードへ突入。

南河内グリーンロードは広域農道だ。農道なので耕運機やトラクターが走っているはずなのだが、実際にはトラックや乗用車のほうがよく見かける。しかも、この日は葡萄の収穫時期だったらしく、高速で飛ばす乗用車が圧倒的に多い。

ヒルクライムコースというわけでもないが、適度にアップダウンが続くため、走りごたえがある。練習用コースとして走っているサイクリストも多いらしい。少し登りを交えて奈良方面や和歌山方面へアクセスするなら、外せない道でもある。

おもちっこ氏を先頭に、のんびりと走る。

こんなところにもイノシシが出るらしい。私、もしかして田舎に住んでたのん……?

とりあえず中間あたりの展望台まで登ってくる。おもちっこ氏は私が頂上付近で仕掛けてくると思っていたらしいが、先日の夜に清滝峠へ行った影響で、本当に足が回らんのだよ……。

展望台から富田林市のほうを眺めると、PLの塔が見える。漢字6文字で書くと大平和祈念塔。正式名称だと超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔。

昔、近くで見てみようとクロスバイクで行ってみたら、塔の真下にいた警備員に警戒されたのを覚えている。以前は一般にも開放されていたらしいが、現在は教団関係者しか入れないらしい。

二人して最近あまり見かけなくなったサイクリストの人たちの話をしながら、展望台を下る。

しかし、やはり気温以上に暑さを感じる。グリーンロードを一旦離れてR200に合流し、近くのコンビニで休憩。

なぜかヨーグルト系? のもので補給。甘いものは苦手だが、ヨーグルト系の味は食べられる。

おもちっこ氏っはなぜかイートインに座らず、立ったままいつものようにコーヒーを飲んでいる。余裕だねえと聞いてみたら、変に座り込んで乳酸が脚に溜まるのを避けているとのこと。確かに、休憩したつもりなのに脚が妙に重いというケースはたまにある。

さくっと休憩を済ませ、R27を南下。千早赤阪村に突入する。

大阪で育った者なら一度はネタにしたことだと思うが、大阪に唯一存在している村、それが千早赤阪村である。ロードバイクに乗るまでは一度も来たことがなかった場所だ。2019年の時点で人口は約4,900人。産業は主に農業と林業、観光が中心である。これから向かう金剛山は、その数少ない観光地のひとつである。

ちなみに、千早赤阪村といえば南北朝時代の武将、楠木正成のゆかりの地としても有名である。

途中でショタっぽい二次元キャラを見かけたが、このモデルは正成らしい。

おもちっこ氏の計らいで、わざわざ金剛山のTT計測ポイントからのスタート。

よーしとりあえず視界に入ったサイクリストは全員ごぼう抜きじゃあ……となるわけもなく、マイペースで登ろうと二人で確認しあう。

「金剛山なんて余裕デース!」とか思っていた

金剛山ロープウェイ。近畿のサイクリスト御用達、関西ヒルクライムTT峠資料室によれば、コースデータは次のとおりである。

標高差:540m

距離:10.2km

平均斜度:5.6%

最高斜度:約10%

難易度表ではCランク。清滝峠や葡萄坂と同じである。ただし、距離が長い。気温もそれなりに高いので、無理せずにマイペースで登る。

序盤は道を遮る木々も少なく、日差しが辛い。二人してただ暑い暑いと呟くだけのマシーンと化す。

山の豆腐とは、一体何だろう。

半分あたりに来たところで、川の流れる音がする。どうやら渓流を利用して釣り堀のようなものができているらしい。

こういう所って、土地の権利関係はどうなっているのだろう。釣りに関する感想は特になく、なんともまあうまい商売だなあということをぼんやりと考える。

とにかく、暑い。あとで近くの川で涼もうと決める。斜度はそうでもないのだが、やはり初見の坂は終わりが見えない分、負荷が大きい。坂を楽しめるような心境にはほど遠い。

けれども、金剛山ロープウェイの標高差は540m。登って行くにつれて、少しずつ気温が下がっていくのがわかる。頂上近くではだいぶ楽になっていきた。

登り初めてから数十分。ようやくゴール。人生初の金剛山ロープウェイ制覇である。

既に六甲山も大台ヶ原も登っているので今更という感じではあるのだけど。それはそれ、これはこれ。

汗で水分が大量に失われていたらしく、スポーツドリンク500mlが一瞬で体に染み込んでいく。

普段、飲み物はアルコールでも無い限り、それだけの量は飲めない。というか350mlですら飲めるか怪しい。

それにしても、頂上には何もない。

ここから金剛山ロープウェイに乗り換えて山頂までいけるのだが、周りには自販機とロープウェイもしくはバスの待合場があるくらいだ。かつて売店や食堂だったらしい建物があるものの、現在は営業していない。

登る前は頂上に何か面白いものでもあるのだろうと思っていただけに、拍子抜けである。

純粋なヒルクライムコースという印象。ヒルクライムコースは登ってから別の所へ下ったり、頂上に何かご褒美があったりするからこそ楽しめるのであって、登ってそのまま同じ道を降りるというのは、どうにも面白みに欠ける(目的があれば話は別だが)。

たぶん、しばらくこの道を登ることはないだろう。頂上で少し休憩ののち、元来た道を引き返していく。

くっ……千早城跡が見えない……

実は、金剛山を登っている途中で気になるスポットがあった。おもちっこ氏から下りの際に寄ってみようと提案があり、そのまま付いていく。

最初に寄ったのは、先に書いた渓流を利用した釣り堀だ。こんな山奥の釣り堀なんて誰が来るのだろうと思いきや、意外にも人が多い。駐車場のキャパは150台もあるらしく、それなりに人気のスポットらしい。

お金を払えば釣った魚をその場で調理してくれるらしい。そうした手軽さも人気の理由なのだろう。

集落のあたりまで戻ってくる。この辺までバスや車で来て、金剛山を登りはじめるという人も多いらしい。

自転車を停めて歩いていくと、小さな川があった。

往路でこの川を見つけたのはおもちっこ氏だ。

自転車を河原まで運び、靴を脱ぐおもちっこ氏。めちゃくちゃ入る気満々やん……。

そのままバシャバシャと川遊びに興じることに。なお、私は全身で浴びず、脚だけ浸かることにした。ひんやりして気持ちいい。

もう9月だというのに、今年最初の川遊びである。

体も良い具合にクールダウンしたので、再び下山していく。全身で川遊びを堪能したおもちっこ氏は「寒い」と叫びながら下っている。お可愛いこと。

もちろん、そうなることがわかっていたので、私は川遊びを避けたわけだが。

下りきる直前、最後のスポットに寄る。何の変哲も無い駐車場、そこからは千早城跡が見えるらしい。二人とも城オタクというわけではないが、せっかくなので堪能しておこうじゃないかと近寄ってみる。

ちなみに千早城は、楠木正成が築いた城である。四方を谷に囲まれ、城の背後のみが金剛山の頂上に繋がっているという要害だったそうな。実際、鎌倉幕府は幾度となく千早城を攻めたそうだが、その堅牢な守りに加えて、楠木正成の巧みな戦術の前には為す術もなかったらしい。

結局、鎌倉幕府がこの城を落とすことはなかった。その後、千早城は建武の新政を経て、南朝方の楠木氏の居城となる。しかし、南北朝時代の末期となる1392年に、北朝方の畠山氏に攻め入られて、ついに落城。結局、室町時代まで存続することはなかった。

一応、近くまで行けばきちんと城跡は見られるようだ。また、千早赤阪村立郷土資料館には復元模型もあるらしい。交通アクセスが少し不便ではあるが……。

鱶←読み方を記せ(報酬:ドムジンスパイスカフェでサービス)

金剛山を下り、河内長野市に入る。

途中、前を走っていたサイクリストに追いつく。

会社の先輩後輩か、もしくは友人だろうか。車体のスペックや走り方から、一方が経験者、もう一方が初心者という印象。

南海高野線、河内長野駅の近くまで来て、先方のサイクリストとは別方向へ。我々は堺市へ向かう。

堺市を走る道路は蜘蛛の巣状に広がっているイメージがあり、いつも迷ってしまう。しかし、堺市をテリトリーとするおもちっこ氏がいれば、そんな心配は無用だ。最短ルートでの走行はもちろんのこと、アップダウンや道の荒れ具合まで事前に教えてくれるなど、最高のナビゲートで導いてくれる。

今の私はサイコンを持っていないので、彼に先頭を引いてもらうしかないのだけど……いつもありがとう。

途中、フラペでドヤ顔した爺さんやママチャリで爆走する高校生集団を涼しい顔で置き去りにしながら、予定していたランチスポットへ。

ところで、どれくらいの人が知っているかはわからないが、大阪はカレーの激戦区である。いわゆる欧風のカレーとは異なり、スパイスカレーを中心に様々なジャンルのカレー屋がしのぎを削っている。

カレー好きの友人知人曰く、大阪のスパイスカレーのレベルは国内でもおそらく最高峰であり、他の追随を許さないそうだ。

しかし、大阪のスパイスカレーはその殆どが大阪市内、特に中央区や北区に集中している。それ以外の場所で開いている店もあるにはあるが……という感じだ。

なお、私自身は自分で作るものを除き、さほどカレー愛はない。確かにカレーは好きだが、カレーとラーメン、どちらが食べたいかと聞かれたら、まず間違いなくラーメンと答えるだろう。そのラーメンだって、それほど食べ歩いているわけでもない。

この日予定しているランチスポットは、スパイスカレーを提供するお店である。以前におもちっこ氏に連れてこられたことがあり、今回が2回目。堺市という(私からすれば)不便な場所にありながらも、一度食べたその味が忘れられず、今回ようやく再訪が叶った次第だ。

ドムジンスパイスカフェ (栂・美木多/カレー)
★★★☆☆3.40 ■予算(夜):¥1,000~¥1,999

外観や看板の撮影もそこそこに、店に入る。優しい店員さんが柔らかい雰囲気で迎えてくれた。おもちっこ氏は常連なので、慣れた感じだ。

ドムジンスパイスカフェのカレーは、メインとなるプレートのほか、ダブルプレートとして好きなカレーをあいがけするスタイルである。

この日のメインはチキンカレーに副菜三種。あいがけのカレーは自家煙ホタテカレー、すだちポークキーマ、鱶とヘチマの香港咖喱、そして牛ホルモンネギ味噌カレーだ。

気になったのは鱶とヘチマの香港咖喱、そして牛ホルモンネギ味噌カレー。

ダブルだとどちらかひとつしか選べないが……と悩んでいたところ、おもちっこ氏はトリプルでその2つを選ぶとのこと。

え、なにそれ常連だけの裏メニューなのん? メニューに書いてないのん……と思ったが、来店2回目の私でも普通に注文できた。

ほどなくして、カレーが到着。

左から順に、チキンカレー、鱶とヘチマの香港咖喱、牛ホルモンネギ味噌カレーだ。

カレー愛のない私でもすぐに気がつく点として、ドムジンスパイスカフェのカレーは見映えがとても華やかだ。具材のごろつき感が複雑に見える。どんな味がするのか、想像できるような気がする一方で、安易なイメージを許さないような雰囲気もある。

いざ、実食。まずは正面の鱶とヘチマの香港咖喱から。複雑なスパイスの香りが口から体内へ伝っていく。

美味い。生まれて初めて鱶を食べたが、面白い味だ。白身魚のような味がするものの、肉厚感がまったく異なる。少し固めの牛肉を噛んでいるような感じ……でもあるが、あくまで近い食感というだけであって、イコールではない。面白い食材である。

続けて、牛ホルモンネギ味噌カレーを。これも美味い。カレーと味噌は相性が良いらしい。そこに牛ホルモンのコリコリした食感がたまらない。食べやすさからいえばこれが一番かもしれない。

チキンカレーは他の二種に比べるとそこまでのインパクトはなかったが、ベースとなるカレーが美味いこともあり、飽きがこない。むしろ、主張しすぎないという点が他の二種を際立たせている。

注文したのはトリプルプレートのごはん大盛りだったが、カレーのレベルの高さはもちろんのこと、金剛山を登ったことによる空腹感もあって、すぐに平らげてしまった。

久しぶりのドムジンスパイスカフェ。確かな満足であった。ぜひ、また立ち寄りたいものである。

SRAMユーザー(約2名)、シマノ本社を訪れる

ドムジンを後にし、おもちっこ氏を先頭に最後の目的地へ向かう。

そのつもりだったが、彼から「ブログのネタ作りにいくつか寄り道しましょう」との提案がある。

もちろん、ネタの提供は大歓迎だ。目的地を知らされず、彼の後を追いかける。

大阪府民にとっては常識であるが、堺市は面積、人口共に大阪第二の都市である。

その歴史は古く、大和王朝の頃には多くの古墳が造られた。2019年に世界遺産への登録が決定した百舌鳥・古市古墳群もこの地にあり、仁徳天皇陵をはじめ100以上もの古墳が存在している。

経済活動も活発であり、戦国時代の頃には既に国際貿易都市としてヨーロッパ世界からも認識されていたという。争いから身を守るため、商人たちが自分たちで都市の運営を行うなど、武士の手に寄らない自治を進めていた都市でもある。

その後、堺は安土桃山時代を経て自治都市としての性格を、江戸時代の鎖国によって貿易都市としての性格を、それぞれ失うこととなる。それでも、築き上げた財力を元手に商売や投資を行う堺の商人の力は、日本全国の経済発展に影響を及ぼしたという。

明治期を過ぎると、次第に堺は工業都市としてのイメージを強くしていく。もし、鎖国時の開港に堺が含まれていたら、今頃は神戸に代わって再び国際貿易都市の性質を強め、梅田一極集中といわれる大阪の状況を変える街となっていたかもしれない。

そんな堺に本社を置く企業は多い。大手企業でいえば、ホームセンターのコーナン、回転寿司チェーンのくら寿司、家電メーカーのSHARPなど。また、前田クラッカーで有名な前田製菓、中古ピアノの買い取りを行うタケモトピアノもこの地に本社を構えている。なお、会社のセレクトに特に意味はない。

知らなかった、という人も多いかもしれない。実際、私も堺市に本社を置く企業などほとんど知らなかった(わざわざ調べて書いた)。

しかし、ロードバイク乗りと釣り好きを自認するなら、知らないでは済まされない堺市の企業がある。

もしかして……と思い、おもちっこ氏の後に続く。ほどなくして、その建物が見えてきた。

日本が世界に誇る自転車コンポーネント製造メーカー、シマノ本社である。

町中にあるとは聞いていたが、まさかこんなところにあるとは……。思わずため息が漏れる。

本社ビルはそれなりに年季が入っているようだ。だが、ひとつ道を逸れると真新しい社屋が姿を現す。

1階部分をよく見ると、駐輪場が広く取られているのがわかった。自転車コンポ-ネントメーカーだけあって、シマノでは自転車での通勤を奨励しているそうだ。

堺市に勤務するシマノ社員約1200名の社員のうち、およそ3分の1が自転車で通勤しているという。当然、それなりの広さの駐輪場が必要になるわけだが、これだけの広さの駐輪場があれば何の心配も要らないだろう。

せっかくなので我々のロードバイクとともに記念写真くらいとっておこうかと思い、おもちっこ氏と二人で休業日のシマノ社屋をバックに車体を撮影しようとする。

しかし、車体を置いてすぐに我々の手が止まる。

「おもちっこさん……我々のコンポーネント、シマノじゃないねえ」

そう、私もおもちっこ氏も、所有しているロードバイクのコンポーネントはシマノではなく、アメリカのコンポーネントメーカー、SRAMである。

あと半年早ければ、せめてクランクだけなら105だったのだが。

これではシマノに喧嘩を売っているだけのように感じたので、記念写真は撮らずにその場を後にする。

いや、別に気にせずに撮っても良かったのだけれども……。

【ゆるぼ】仙人になる方法

サイクリストの聖地(かどうかはしらないが)シマノ本社を後にし、おもちっこ氏の誘導で最後の目的地へ向かう。

途中、地車の練習っぽい風景を見かける。正確には地車ではないらしい。今度、おもちっこ氏にもう一度確認しておこう。

住宅地を抜けR197、通称大道筋に入る。ここは阪堺電車の併走路でもある。

阪堺電車は過去に一度だけ乗ったことがある。あのレトロさは乗っておくだけの価値があるように思う。家々の隙間を縫うように走る線路や、昭和の時代から切り出してきたかのような駅舎の数々、そして車両の何ともいえない乗り心地。

路面電車は移動に多少時間がかかるものの、時刻表通りに到着はするし、道路混雑の影響もさほど受けない(ように思える。もともと平均速度が遅いので)。

近畿圏の路面電車といえば、京都市電を思い出す人もいるだろう。私は廃線後の生まれなので、当時の市電の姿など知る由もない。

ただ、私の母親などは「京都は路面電車を残しておくべきだった、バスよりも便利だったのに」と主張する。その是非はさておき、京都市内の道路の混雑具合やバスの乗車率を思えば、その主張はあながち間違いではないのかもしれない。

そんなことを思いながら最後の目的地へ向かっていると、不意におもちっこ氏が止まる。

「KeiOSさん、左側を見てくださいよ」

何の変哲もない通りだが、何かあるのだろうか。左側を見ると、なにやら古い建物がある。

これは……米屋か?

いや、違う。この店はどこかで見たことがある。

銀シャリ屋 ゲコ亭 (寺地町/食堂)
★★★☆☆3.68 ■予算(昼):¥1,000~¥1,999

そう、あれだ。飯炊き仙人とかいうおじいさんのいる、「銀シャリ屋 ゲコ亭」だ。こんなところにあったのか。

お店は14時までらしく、この日はすでに閉店していた。しかし、店のドアが開いている。

こっそり中をのぞいてみると、なんと飯炊き仙人本人がいた。テレビやネットでみた風貌そのままである。今もやってるんだな……。

ゲコ亭は1963年(昭和38年)に創業。既に50年を超える老舗の大衆食堂である。飯炊き仙人こと村嶋氏はとにかく飯の味にこだわり続けており、夏場は米を炊くのに使用する水の関係から店を開けないこともあるという。

2013年にはフジオフードがゲコ亭の2台目主人となり、てっきり引退したものだと思い込んでいた。しかし、今も店舗内にいたということは、まだ自身で米を炊いているのだろうか。

と思ったら、お店のドアに「若手後継者夫婦探しています」の張り紙が。

フジオフードが引き継いだのは間違いないはずだが、この店舗の後継者は別に探しているのだろうか。そしてなぜ夫婦限定……。

機会があれば一度食べてみたいと思いつつ、その場を離れる。

つぼ市製茶本舗で今年最後のかき氷を

再びR197、大道筋を北上する。そのまま2kmほど進んで、本日の最終目的地に到着。

茶寮 つぼ市製茶本舗 堺本館

茶寮つぼ市製茶本舗 堺本館 (神明町/カフェ)
★★★☆☆3.56 ■~市中の山居~ 街の喧騒を忘れ、ゆったりとしたひとときを。 ■予算(昼):¥1,000~¥1,999

つぼ市の創業は1850年(嘉永三年)、ちょうど幕末期にあたる。堺といえばあの千利休の生誕の地でもあり、お茶に関してはそれなりの伝統と歴史があるようだ。お茶の生産量について、大阪は全国トップ3にも入っていないが、それはそれ、これはこれ。

かねてより夏の暑い時期に短い距離で(本当に短い距離で)サクッとライドをしたいと考えていたのだが、そのときの候補地として考えていたのが、このつぼ市製茶本舗である。

その理由は、ここのかき氷にある。「無重力かき氷」とも呼ばれるそれは、堺の刀鍛冶が作った刃で削った氷であり、口に入れた瞬間、ふわっと溶けて無くなるのだという。見た目のビジュアルも美しく、一度食べてみたいと思っていた次第である。

甘いものにはさほど興味がないものの、やはり暑い日にはアイスやかき氷が食べたくなる。できれば抹茶などのように、甘さ控えめで食べやすいほうが嬉しい。

ただ、抹茶って別に甘さ控えめでもない気がする。個人的にはまだ食べやすい味なのだけれども。

かなりの行列ができると聞いていたが、このときは二組待ち程度ですんなりと座れた。その後、すぐに多くの人が押し寄せてきたのを見ると、タイミングが良かったのだろう。

二人して噂の品をオーダーする。程なくして目の前に運ばれてきたそれは、深い緑と白のコントラストがなんとも美しいかき氷であった。

崩れやすいとのことなので、おそるおそるスプーンですくい、一口。

つめたく、美味い。冷たくなると味は鈍るというが、抹茶部分が濃厚で深みがあるせいか、はっきりとした抹茶の風味が口内を通り過ぎていく。それでいて、甘さは控えめ。ミルクの甘みとのバランスがちょうど良い。

そんなことを無意識に思っていたのかどうかは忘れたが、口に入れていたはずの氷は知らぬうちに消えている。

もう一口。つめたく、美味い。冷たくなると(略

気がつくと、氷は消えている。いつから、かき氷を食べていると錯覚していた?

これが無重力かき氷と呼ばれる所以か。以前に別のところでも似たような食感のかき氷を食べたことがあるが、これもまた格別である。

備えられたクッキーは実際に販売している抹茶を使って作ったものらしく、こちらも美味い。これは別にお茶を頼んでも良かったかもしれない。

残暑厳しいなかでのライドの締めとして、最高の一品であった。

結びに代えて

店舗を出て、おもちっこ氏とは堺東のあたりで解散。彼もだいぶ疲れていたらしく、輪行で帰るらしい。

などと思っていたら、後でStravaの記録を見たら普通に自走で帰っていた。元気やね……。

自転車に乗るまで、堺に来ることは無かった。長らく大和川より北に住んでいると、それより南は修羅の国という印象を持っていたからだ(失礼)。

しかし、昨年におもちっこ氏とドムジンスパイスカフェへ行って以来、堺には美味しいものが多いという印象を持っており、できれば何度も足を運んでみたいと思っている。食べ物にはさほど興味のない私がこのように思うのは珍しいことだ。

夏場のグルメポタリングに限らず、また行ってみたい。

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