ダウンヒルで落車した顛末を語る

自転車

前書き

先日、クロスバイクで乗鞍エコーラインを登ってきた。

この日、初日にエコーラインを登り、二日目は長野県内を散策する予定だったのだが、期せずして私だけが初日で帰阪することとなった。

その理由は、落車だ。

つまり、エコーラインの復路、ダウンヒル時に派手な落車を起こしてしまい、大けがを負ってしまったのである。

骨折等はなかったものの、顔や口内に跡が残るかもしれない怪我を負ってしまい、ひどく気分が落ち込んだ。

思えば先日、自分の不注意で愛車に傷を負わせてしまったわけだが、まさか自分がそのあとを追ってしまうとは……。

怪我から1週間が経過し、少し気持ちが落ち着いてきたので、今ここで自戒を込めて落車の顛末を語ろうと思う。

願わくば、もう二度と事故を起こしませんように。そして、この記事を読んでくれた人が私の行動を反面教師として、ひとりでも安全にライドを楽しめますように。

落車の顛末と怪我の具合

1日目(2022年7月9日 土曜日)

その日事故が起きたのは、エコーラインのちょうど真ん中あたり。位ヶ原山荘の近くである。

下っている途中、道にあった段差に乗り上げてしまい、そこに急ブレーキをかけたことで車体とともに前転。顔面からアスファルトに突っ込んでしまった。

どうやら骨折等はしておらず、すっと立ち上がれた。しかし、ぶつけた顔の様子がどうにもおかしい。

スマートフォンのカメラで自撮りモードを立ち上げ、様子を確認する。見ると、顔面は血だらけで、特に鼻と上唇の間に裂傷が出来ていた。他にも鼻、顎に大きな擦過傷が出来ている。

さらに、口の中が妙な感じがした。舌が動かしにくい。その舌で歯をなぞると、上顎の前歯2本が口の内部に向けて傾いていることに気がつく。歯が脱臼しているのか、或いは折れているのか、その時はよくわからなかった。

その歯の様子を確かめた舌にも大きな裂傷ができており、指で触ると穴があいていた。おそらく、落車の衝撃で前歯を打ち付けた際に、歯が舌を貫通してしまったのだろうと思う。

そして、とにかく血が止まらない。

幸いにも、一緒に下っていたShin氏(@shinox_kg)や坂本氏(@skmt_fact)が位ヶ原山荘まで誘導してくれた上に、山荘のオーナーの計らいもあり、軒先のベンチで少し休ませてもらうことができた。

不思議と、痛みはあまりなかった。ただ、頭がぼんやりとする。頭を強く打ち付けたショック――というわけではなく、自分が顔を怪我したということがどうにも信じられないという感じである。

特に、自分の歯がおかしくなっているというのがまるで実感できなかった。

というのも、私は自分の歯に並々ならぬ愛着がある。矯正せずとも歯並びが良く、虫歯は奥に治療済みのものが1本のみ。半年に1回の定期検診を欠かすことはなく、その度に問題がないことを確かめていた。

審美的に申し分のない歯は自分のアイデンティティとも結びついており、この先一生共にしていくのだと思っていた。

その歯が、おかしなことになっている。その事実がどうにも受け入れがたかった。

Shin氏が持っていたウェットティッシュや、山荘のオーナーからお借りしたタオルで止血をする。

このとき、救急車を呼ぶという選択肢も自分では思いつかずにいた。そのくらい、怪我を現実のものとして受け入れられていなかったのだろう。結果として、側にいてくれたShin氏が携帯で119番をかけてくれた。

しかし、エコーラインを流れる乗鞍岳は人里離れた山である。当然ながら救急車の到着はかなり時間がかかるとのこと。

どういうわけか、早く来て欲しいという気持ちは不思議と湧かず、ぼんやりとした意識だけが脳裏に浮かぶ。自分が事故を起こしたのだというのが未だに信じられなかった。

やがて数十分の時間を経て、救急車が到着。現地で怪我の具合を確認され、そのまま運ばれてゆくこととなった。

ところで、救急車は原則として患者以外を運ぶことは出来ない。実は過去にも一度落車して搬送されたことがあるが、その時は救急隊員に頼み込んで自転車も運んでもらうことができた。だが、これは本当に例外的な扱いだろう。

そのため、私のクロスバイクやヘルメットはShin氏と坂本氏が麓まで運んでくれることとなった。位ヶ原山荘から麓まではまだかなりの距離があるにも関わらず……お二人には本当に感謝してもしきれない。

搬送先は松本市立病院。事故を起こした場所からは1時間程度かかる。本来ならもっと早くついて欲しいと思うのかもしれないが、この時もまだ意識はぼんやりとしており、そういうものだという気持ちしかなかった。

搬送途中、救急隊員の方が時折声をかけてくれる。声をかけてくれるたびに、相づちを返す。

「大変な怪我でしたが、また治ったらぜひ乗鞍へ遊びに来てください」

今思い返すと、そう言ってもらえたのは素直に嬉しかった。

そうして1時間後、救急車が病院に到着。すぐに担当の外科医に診てもらうこととなった。

外傷としては、特に鼻と上唇の間の裂傷が激しかったらしく、その部分を消毒したうえで縫合された。神経が集中している部分なので痛かったが、そうも言っていられない。

その後、鼻や顎などの擦過傷を消毒してガーゼを当て、応急処置は完了。

ただ、口の中は外科の範囲外なので、帰阪してから歯科医に診てもらうように言われた。口の中が一番違和感があって気持ち悪かったのだが、仕方ない。

それにしても、前歯が妙な位置にあるせいで上手く発声ができない。呂律が回らないのである。意思疎通にはさほど問題ないのだが、自分が妙なしゃべり方になってしまっているというのはどうにも気落ちした。

また、傷口がアスファルトに接触したということで、万が一にも破傷風を起こす可能性があるとのこと。予防接種を受けた記憶はなかったので、念のため受けておくこととなった。

すべての処置が完了したところで、今回の乗鞍ライドに参加していた面々が迎えに来てくれた。応急処置の状況を伝えながら、長野までの移動に使用したハイエースに乗り込む。

この時になって、ようやく自分の怪我の状況を落ち着いて把握出来るようになってきた。特に、口の中の状況は少しでもどうにかしたい。そう思い、車内からかかりつけの歯科医に電話する。

歯科医に状況を伝えたところ、最速で月曜日に診ることができるとのこと。この日は土曜日だったので、診察までには2日かかることになる。

なお、状況から痛みや沁みる等の症状が出る可能性があるので、その場合は大阪の桃谷にある大阪府歯科医師会へ行くようにと言われた。ここは歯科の休日・夜間診療を行っているそうだ。

電話を切り、少し冷静になった頭で考える。

このまま滞在していても、怪我の具合が良くなるわけではない。食事も取れそうな気がしない。うまく寝られる気もしない。むしろ回りにも気を遣わせてしまうことになる。それよりは、戻って救急の歯科にも診てもらったほうが良いだろう。

そこまで考えた結果、私だけ一日早く帰阪することを選んだ。

乗っていたクロスバイクやヘルメット等の荷物は、一緒に参加していた面々がハイエースで大阪まで運んでくれるとのこと。これは本当に有り難かった。五体は満足に動くが、この怪我の具合で輪行して帰るのは流石にきつかったと思う。

JR松本駅まで送ってもらい、一人帰るための切符を購入する。

JR特急しなので名古屋駅まで2時間、そこから新幹線で大阪駅まで約1時間。合計3時間の道のりである。

だが、当初乗車するつもりだった列車は豪雨のせいか運休。結局、しなのに乗車できたのは駅に着いてから1時間後のことだった。

この帰阪時の時間はとても辛かった。人間、体調不良の状態では時間の経過が異様に長く感じるらしい。待てども待てども列車は着かず、傷口はその存在を主張する。正直、気がどうにかなってしまいそうだった。

加えて、車内には冷房が効いているはずなのに、傷口が熱を持っているのか妙に暑い。いけないとは思いつつも、その暑さに耐えきれず貼っていたガーゼを全部剥がしてしまった。当然、傷口は真っ赤なままなので、回りの乗客にはいらぬ迷惑をかけてしまったと思う。

気が遠くなるような心持ちのなか、なんとか名古屋駅に到着。

そこから新幹線で大阪駅まで戻る。あとで聞いた話だが、その日は豪雨の影響で新幹線もダイヤが乱れていたらしく、場合によっては名古屋で足止めを食らっていた可能性もあったらしい。

もう歩く気力もなかったので、大阪駅からタクシーを使い自宅に戻った(このとき、運転手は私の顔をみてびっくりしていた。申し訳ないことをした)。

家に着いたのは23時過ぎ。シャワーに入って傷口を洗い、病院で渡された軟膏を塗ってガーゼを当て、そのままベッドに倒れ込んだ。

だが、ここからがさらに大変だった。鼻呼吸ができないのである。

鼻を怪我しているせいか、鼻腔に血がたまる。そのせいで呼吸がうまく行かない。必然と、口呼吸で寝なければならなくなる。

仕方なくそのようにして寝てみるのだが、1時間おきに目が覚める。原因はよくわからない。さらには裂傷した舌から血糊のようなものがどんどん湧き出してきて、口の中を埋め尽くす。寝ながらそれを吐き出していたらしく、枕が血に濡れた。

寝たいのに、寝られない。前日もほとんど寝ていないだけに、これは拷問に近かった。

このまま自分はどうなってしまうのだろう。そんな気持ちになり、発狂しそうになった。大げさかもしれないが、その時の自分は本当にそう思っていたのである。

長い、長い夜の始まりだった。

2日目(2022年7月10日 日曜日)

ほとんど寝られないまま起床。だが、流石に体が悲鳴を上げていたらしく、最後には連続して2時間弱の睡眠が得られた。

傷口は特に痛まないが、顔と口内の違和感が酷い。萎えそうな気力を振り絞って着替えると、桃谷にある大阪府歯科医師会へと向かった。

到着してしばらく待ったのち、診療室へと通される。口腔外科が専門らしい年配の医師が担当してくれた。

一見してまずはレントゲンを撮影。その結果、上顎の前歯2本は脱臼では無く、根元から折れていることが判明した。写真を見せられたが、素人目にもその断裂がはっきりとわかった。

歯は、その欠損具合によって詰め物をしたり、神経を抜いてクラウンを被せたりといった処置が行われる。しかし、根元から折れてしまった場合の歯は二度と戻ることは無く、抜歯しかないと言われた。

受け入れがたい宣告だった。これまで大切にしてきた歯が、こんな形で抜歯することになるなんて。

絶望的な気分だったが、もうどうしようもないのだと理解する。私は、抜歯を受け入れることにした。

処置後に待合室まで戻ってくると、その場にへたりこんでしまった。たかが歯でといわれるかもしれないが、自分にとって歯は本当に大切な体の一部だったのである。ここにきてようやく、事故を起こしてしまったことを心の底から悔やんだ。

処置が済み、状況報告をしようと市内の実家に立ち寄る。40代になってもなお両親に心配をかけてしまったことがとても情けない。そんな自分を優しく迎えてくれた両親の在り方が、ただただ有り難かった。

家に戻り何もする気が起きなかったが、夕べ持ち帰った荷物を片づけていると、少しだけ気持ちが落ち着いた。

というよりも、ある意味その行動は現実逃避という心の防衛本能だったのかもしれない。じっとしていると怪我のことを思い出して気分が塞ぐ。それを回避すべく、まずは身の回りのことをせよと本能が訴えていたのだろう。

今から思い返すと謎だが、何故かこのとき、台所の排水溝清掃もした。別に今じゃ無くても良かろうにとは思うのだが、それもまた、現実逃避の一環だったのだろうと思う。

少し早いシャワーを浴びて一息つく。思えば昨日の昼以降、何も口にしていない。見かねた両親がスーパーで購入したゼリーや卵豆腐、レトルト粥などを持たせてくれていた。

しかし、どうにもお腹が空いていると感じない。理由は不明だが、口を怪我している=食べにくいという先入観から、食べるのが億劫になっていたのかもしれない。

だが、食べなければ怪我は回復しない。無理矢理にでもそれらを少しずつ食べることにした。あと、普段からプロテインを備えていたので、これも胃に流し込む。

体の回復には十分なタンパク質と睡眠。脳筋めいた思考だが、今はそれが大切だと感じた。

ほとんど食事と呼べないような栄養補給を済ませて、その日は早めに就寝することとした。幸いにも、昨日よりも鼻づまりの症状は緩和されており、少しはぐっすりと眠ることができた。

3日目(2022年7月11日 月曜日)

早々に起床する。

相変わらず、発声がしづらい。舌の裂傷のせいだと思っていたが、どうやら違うらしい。前歯がないと、サ行とタ行の発音が難しいのだ。前歯がどのように治るのかは見通しがつかず、地味に気分を落ち込ませた。

職場にはメールで状況を伝え、その日は休むことにした。

朝から形成外科と、かかりつけの歯科医へ向かう。かかりつけの歯科医は事故の当日に予約していた。

歯科医へ前日に抜歯したことを伝えるとともに、大阪府歯科医師会で用意してもらった紹介状(処置状況の説明書)を渡す。

口のなかを一通り確認してもらうと、上顎の前歯2本の両隣の歯が、一方は欠けており、一方はぐらついていることが判明。また、下顎の前歯2本も少し削れていることがわかった。

失った上顎の前歯をすぐにどうにかすることはできないようで、まずはその周辺の歯を処置することとなった。その日はぐらついた歯の簡易固定と、下顎の前歯2本のギザギザになった部分を少し丸めて処置が完了。

一度に全部治して欲しいという気持ちもあったが、基本、歯科は1回の治療で少しずつ処置を進めることとなる。この辺は保険診療のルールとも関係しているらしい。流行る気持ちを抑えて、次の処置日を待つこととした。

歯科を出て、その足で形成外科へ。予約はしていなかったが、紹介状もあってすぐに診てもらえることとなった。

実は、その形成外科には4年前にもお世話になっている。その時もやはり自転車からの落車であり、縫合した頬あたりの怪我をしばらく診てもらっていた。なので、当時撮影したCTとも見比べながら症状を診てもらうことができた。

診察の結果、鼻が1ミリほど折れていることが判明する。自覚症状はなかったので少し驚いた。医師が言うには事故後の鼻づまりはおそらく骨折による腫れが影響しているとのこと。なるほどと合点がいく。

その後、顔の傷はできるだけ乾燥させずに、湿潤状態を保つよう言われた。その方が傷が綺麗になおるそうだ。一方、舌は基本的によほどのことが無い限り縫合する必要はない部位らしく、そのうち塞がるのでしばらく様子を見ましょうとのことだった。

ここまでで、ようやく初期の処置をひととおり終えたと感じた。次は4日後に、それぞれ形成外科と歯科へ通うこととなった。

4~6日目(2022年7月12~14日 火~木曜日)

五体満足だったため、火曜日から通常通り出勤した。

職場の人たちからはたいそう心配されるとともに、体を治すことを第一に考えて欲しいと言われた。そのことが、ただ有り難い。

仕事をしている間は傷のことを忘れられるかと思ったが、なかなかそうもいかない。相変わらず呂律が少し回りにくく、職場の人間と話す度にそのことを自覚する。意思疎通上はほとんど問題ないのだが。

また、昼食がとりにくいことも気が滅入る一因だった。うどんが食べやすかったので毎回コンビニで購入したものを持参していたが、平時のように上手く食べることができず、回りの目が気になってしまう(気にしすぎだと思うが)。

それでも、家でただじっとしているよりは幾分マシだったのだと思う。

7日目(2022年7月15日 金曜日)

再び仕事を休み、朝から形成外科と歯科へ。

形成外科では松本市立病院で処置された縫合を抜糸。傷口は塞がっているので、あまり激しく動かさないようにとのこと。

その後、一通り怪我の具合を確認する。縫合した部位と舌に関しては、傷自体は必ず塞がるものの、場合によっては跡が残るかもしれないと言われた。

跡が残るかもしれない、この言葉は少なからずショックだった。別に端正な顔立ちをしているわけでもないが、顔の傷は服などで隠せるものでもない。舌も、食べるたびに違和感を覚えるかもしれないと思うと気分が萎えた。

続けて歯科に行く。簡易固定した歯が噛むときに当たることを伝えると、ほんの少し歯を削って調整してくれた。

自分にとっては歯を削られることも耐えがたいのだが、このままではいらぬ負荷がかかるとのことで、致し方ない。できるだけ元の口内に近づけるためだと言い聞かせながら、その処置を受け入れた。

食事は相変わらずゼリーや豆腐などの柔らかいものが中心だった。ただ、相変わらずうどんは口内の状況にあまり左右されずに食べることができたので、必然とうどんが主食になっていた。

白だしベースの一般的なうどんは飽きがこないので有り難い。味覇をつかって中華風にしてみたり、味噌をつかって味噌うどんにしてみたりすることも可能だ。うどんを発明した先人には感謝しかない。

あと、怪我をしてからの3食には必ずプロテインを取り入れることにした。

ただでさえ不足しがちなタンパク質である。一般的な成人男性の場合、1日のタンパク質摂取推奨量は約65g。これを食事だけで賄うのはけっこう難しい。しかも、この食事状況ならなおさらである。

朝は常備しているプロテインを、昼と夜はコンビニでもよく売られている紙パックのプロテインをそれぞれ飲むことにした。

そのおかげが、軽い傷跡はすぐに塞がってくれた。いまだ修復中の傷も、いずれ小さくなっていくだろう。しばらくはこのスタイルを続けていくことにした。

落車の原因を振り返る

落車の原因は、未だに自分でも結論がでていない。なので、当時の状況から幾分確かであろうことを列記してゆく。

事故当時のスピードはよく覚えていないが、急ブレーキをかけて前転したということは、それなりの速度が出ていたのではないかと思う。

乗り上げた段差は、それほど大きかったわけではない。単純に、路面が悪かったことが原因ではないと思っている。

今にして思うと、クロスバイクのジオメトリは少なからず影響していたのではないかと考えている。

普段からダウンヒルでは重心を後ろにかけるように心がけているが、クロスバイクはジオメトリの関係上、姿勢がアップライトにならざるを得ない。そのせいで、重心を十分に後ろへかけられていなかったのではないかと思う。

加えて、私のクロスバイクのブレーキは異様なまでに効きが良い。整備してくれたショップのスタッフ曰く、SHIMANOの説明通りに正確にブレーキワイヤーを引けた結果、リムブレーキとして著しい性能を発揮しているらしい。

スピードが乗ったところにブレーキが効き過ぎてしまい、しかも姿勢がアップライトなままだったので、そのまま段差を超えて前転し、顔から激突した……そんなところではないだろうか。

いずれにしても、スピードを出しすぎず、重心をもっと後ろにかけていれば防げる事故だったと思っている。

その後の流れ

この記事を書いているのは2022年7月17日。ちょうど事故から9日目である。

顔の傷は徐々に小さくなってきたが、ガーゼはまだ手放せない。

鼻と上唇の間がどのようになるかは心配である。医者からも言われたが、こればかりは少し長い時間をかけて様子を見るしか無いようだ。

舌も少しずつ塞がってきている。しかし、単純に塞がるだけならそう日数はかからないものの、もとの綺麗な形に戻るかどうかは未知数のようだ。こちらも、長くて半年くらいは様子を見た方が良いと言われている。

食事は今もまだうどんが中心だ。刺激物や熱いもの、表面がささくれているものは食べるのに難儀する。また、前歯が無いこともあって、囓る必要のあるものは基本的に難しい。また、ぐらついた歯をあまり刺激できないので、思い切って口を動かせないのもストレスだ。

それでも、日に日に状況は好転していっていると感じる。元通りの状態にどこまで近づけられるのかを考えると不安ばかりが募るが……。

まずは傷の治療に専念すること。そう前向きに考えられるようになった。

あと、少しずつ何かをしようという気持ちが出てきたのは大きい。事故当初は本当に何もする気になれなかったが、今は少しずつ本を読み、アニメを鑑賞し、こうしてブログの更新をする意欲が出てきている。

前向きな気持ちになるためにも、こうした日常を推し進めることを心がけていきたいと思う。

二度と事故を起こさないために

これまで、自分は安全運転で走っていると思っていた。そう、思い込んでいた。

しかし、過去の自分を振り返ってみると、なんとも落車が多いことに気がつく。

小さな落車はそれこそ数え切れない。大きなものとしては、熱中症で無意識のまま平坦道で落車し、誰かが読んでくれた救急車で運ばれたこともある。

幸いにもこれまで体に跡を残すものはなかった。しかし今回、はじめて大きな傷をこさえてしまうことになった。

舌や顔の傷もそうだが、前歯に関してはもう二度と同じ歯が戻ってくることはない。

このように、事故はそれまでの自分の体に取り返しのつかない事態をもたらすことがある。

前歯を失ったことは未だ受け入れがたいが、それでも五体満足でいられているのは僥倖だったのだと、いずれ思える日が来るのだと思いたい。

鼻が潰れていたら。失明していたら。口が再生不可能なくらいにズタズタになっていたら。下半身不随になっていたら。頭を強く打ちつけて植物状態になっていたら。あるいは死亡――。どれも、あり得たかもしれないのだから。

私は、まだまだ安全運転への意識が甘かったと思う。この事故を契機として、自転車を運転する際の心構えを今一度、真剣に見直すようにしたい。

言葉にするのはたやすく、これは行動で示さなくてはならない。

何よりも、ダウンヒル時のスピードは抑えめに。どのくらいのスピードが適正なのかは人によるだろうが、少なくとも今回の事故を避けられないようなスピードは単純に出し過ぎである。

ダウンヒルなんてそう長く続くものでもないし、早く下った人の待ち時間なんてしれている。安全第一に、自分の身の丈にあったスピードで下ることが肝要だ。

世の中には30年以上自転車に乗って無事故な人もいると聞く。落車の多い自分が同じようにできるかどうかはわからない。しかし、今はもう二度と事故を起こさないという気持ちのほうが勝る。今回のことは、再び事故に遭わないための契機としたい。

事故は何も生み出さない。それどころか、今まで当たり前に享受していた多くのものを失ってしまう。よく言われるように、無事に帰宅できてこそのライドなのである。

そのことを強く自分に戒めつつ、今は回復に専念したい。

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