中谷鳰『やがて君になる』2巻

漫画・コミック

はじめに――感想に代えて

ただの恋愛話にしては、とても複雑な感情を描くのだな。最初に思ったのはそんなこと。

いや、1巻の時点で相当に練り込んでるなとは思っていたが、正直まだまだ甘かった。2巻から侑と橙子の感情の機微は渦を巻くように複雑化していく。特に橙子、どれだけねじ曲がってるんだ。

どの辺が複雑なのか、とりとめも無く書き出してみる。

橙子に好意をぶつけられる侑は、自分も特別を理解できるようになりたい、変わりたいと羨む。

侑が橙子のことを気にするのは、彼女を特別に想っているのではなく、橙子の弱さや脆さが心配だから。けれども、橙子が自分を特別に想ってくれている事に対して、好意ではない嬉しさも感じている。そして、自分も変わりたいという思いは、いつしか橙子のことを可愛いと思えるようになりたい、というところまで行き着く。

一方、橙子は侑のことが好きである。それはもう、侑の部屋に行ったらドキドキしすぎて布団に顔を埋めてくんかくんかしてしまうくらいに。

しかし、姉の事件を背景として、橙子は幼い頃から周りにとって特別であることを求められ、自らもまた特別な存在としてそのように振る舞うことを求めている。その超人めいた姿はたゆまぬ努力の上に成り立っているものだった。

「好き」とは相手を束縛する言葉。好きなところがなくなってしまったら、もう好きではないかもしれない。

橙子に告白してくる人は皆、橙子の超人性に惹かれている。けれども、橙子は自分が脆く崩れやすいことを誰よりも理解している。そして、いつかその超人性が崩れてしまったとき、その人はみな自分を好きじゃなくなるのではないかという疑問をもっている。橙子は、相手の「好き」という言葉を信用していない。

特別という感情を理解できない侑の側にいることは居心地が良い。好意を理解できない侑は、たとえ橙子の超人性が失われたとしても、変わらずに接してくれるはずだから。

だから橙子は、好意を理解できない侑を選ぶ。それは同時に、侑が自分を好きにならないでいて欲しいという願いでもある。好きになってしまったら、侑が橙子にこうあってほしいという形を決めてしまうことになり、他の好きと同じになってしまうから。

複雑だと感じる。ようやく腑に落ちてきた感じはあるものの、読み終えた直後は感情の流れを整理するのにちょっと時間がかかった。

1巻では侑の感情の機微にスポットが当たっていたのに対して、2巻では橙子の心情が一気に深掘りされた感じがある。

月並みな言葉だが、お互いの根底にあるのは寂しさなのだろう、と。

侑の「寂しくないなら誰も好きにならなくていいもん」という台詞が橙子に突き刺さる。橙子は特別な自分を手放すことはできず、しかし、特別でない自分があることも認めている。しかし、特別な自分もそうでない自分も、肯定されたくない。肯定する=好きになってもらうということは、自分の形を束縛されるということだから。

他方、侑の台詞は侑自身にも突き刺さっている。侑は好きという感情を理解できない。けれども、理解したがっている。そして、その相手が橙子であればいいな、というところまで揺れ動いている。おそらくその理由のひとつは、自分を選んでくれたことによって、橙子が完璧超人ではない、普通の女の子の姿を見せてくれるという、ある意味で自分だけに「特別な姿」を見せてくれるから。

ところで、侑と橙子の間にはひとつのミスマッチがある。それは橙子が作り上げた特別さにおける捉え方の違い。

侑は超人性をまとっていない、素の状態の橙子が自分だけに見せてくれる特別であると思っている。けれども橙子は、素の自分でいさせてくれる侑に居心地の良さを感じてはいるものの、周りに対する作り上げた特別さを嫌っているわけではない。9話での会話ではそのミスマッチが顔を覗かせる。

結局、9話を経てこのミスマッチが解消されたわけではない。相変わらず橙子は侑に好意を抱いていて、侑は橙子に好意を向けられていることに何かしらの嬉しさを感じ、そして自分も好意を理解したいと思っている。けれどもこのミスマッチが、解消されないまま根底で燻っている。おそらく劇が無事に講演され、橙子が姉の代わりであることを必要としなくなったとき――つまり、自分が超人的なな存在として振る舞う理由がなくなったとき、そのミスマッチは嫌な形で爆発しそうな気がする。

橙子が己の特別に対する姿勢を変えるのか、もしくは侑が橙子を好きになってしまうのか、いずれにしてもどちらかが到来したとき、二人の関係はより歪にねじ曲がってしまう、そんな不穏な空気を漂わせたまま、3巻に続く。

『やがて君になる』の主な登場人物の紹介(と私見)(※2巻時点)

小糸 侑(こいと ゆう)

好きじゃないけどキスしたいとか、エロいというか、女子高生っぽいというか。橙子との秘密を槙に知られた事に対して、橙子の気持ちを優先して考えるあたり、素直な子という印象を受ける。自分の気持ちと向き合いたいという理由から橙子を家に誘うのも素直だなあと。その素直さが思い上がりにつながったのか、9話で橙子を止められずにいたときの表情はちょっと意外だった。そうした読み違いをしてしまうくらいに、橙子の感情は複雑だったということなのだろうけれども。

七海 橙子(ななみ とうこ)

今回、感情や行動が最も掘り下げられたキャラだろう。姉の話が出てきて橙子の設定が一気に深まる。1巻で侑に対して、自分のことを好きにならなくてもいいと言っていたが、今から思えばその台詞は彼女の願望であったのかもしれない。それでも侑が好きな様子が本物であるあたり、何とも複雑。うん、好きな女の子の家にいったら妙にそわそわしてしまうのは女の子も男の子も同じらしい。そういうところは可愛いのに。

佐伯 沙弥香(さえき さやか)

侑へのあれは、やはり嫉妬によるものなのかなあ。橙子の姉のことを侑にそれとなく教えてあげるのは、なにも知らずに橙子のことを判断するのは許せないという、彼女なりの考えなのかもしれない。実際、沙弥香は橙子の特別さが彼女のアイデンティティになっていることを理解しているわけなので。

叶 こよみ(かのう こよみ)

小説家志望であることが判明。併せて侑が読書家であることも明らかに。おそらく、生徒会劇の脚本にも絡んでくるのだろうなと。

日向 朱里(ひゅうが あかり)

今回出番はあまりなし。まあ、試験1週間前ではあまり勉強する気にはならんよね……と過去の高校生活を振り返ってみたり。

槙 聖司(まき せいじ)

遠見東高校の1年生。1巻では侑と同じ生徒会の手伝い。ただそれだけの立ち位置だったが、2巻で侑ともに生徒会入り。そして偶然にも侑と橙子の秘密を知ってしまうことに。

ジャンルがジャンルなら、槙の立ち位置は完全に悪役のそれになっていた可能性が。百合作品に男性キャラの割り込みは不要か否かというのはまあ良いとして、本作の場合は今のところ傍観者、というか百合作品を覗きたい読者の位置に徹している感じである。侑と橙子の秘密を自分だけの物語としてそっと眺めているというのはアレだよな、好きな小説でドキドキしたけど誰にも教えたくない、という感情にとてもよく似ている。わかります。

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